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✞ 4話 保育園の話 ✞

2023/02/13
文字数:約1660文字

 母は、私とほっちゃん上の妹を保育園に入れた。

 初めての保育園で私は大泣きしたらしい。
 もちろん、覚えていない。
 しかく先生が私を抱っこして、連れて行ってくれたそうだ。



 私の記憶にある保育園の一日はこんなものだった。
 毎朝クズリながら着替えて、車に乗って、保育園に着く。
 母の手は片方に妹、片方に荷物。私は一人で歩く。
 布団がある時は、自分の布団は自分でなるべく持っていたような気がするが、たぶんあれは年長さんぐらいだったのかもしれない。

 先生のあいさつを聞き流して無視して、無言で靴箱に靴を入れる。
 手提げなどを定位置に引っかけてから、教室の雑音にウンザリしながら、出席シールを張る。
 カバンをロッカーに入れる。
 そして、邪魔にならない壁際に背を預けてじっとしている。

 先生が来たら、朝の会が始まる。
 それから園庭で遊んだり、教室内で折り紙や粘土をしたりする。
 園庭で遊ぶ時は、壁とお友達になる。
 教室内で何かを作る時は無言で作る。
 絵本の読み聞かせは、自分の座る位置をどこにしたらいいのか分からなくて、立ち尽くす。
 周りが座ったのを見計らって、一番人と距離を取れる場所を考えて座る。
 お昼寝の時間は天井とにらめっこ。時々、うっかり寝るが、大抵の場合は起きている。
 先生に気が付かれて、先生が傍に居るとますます眠れなくなる。

 給食の牛乳は飲まない。
 おやつのミルクは甘くて飲めたのが、今から考えると不思議だった。

 帰りの会の前には先生が連絡帳を配る。
 そして、一人一人の様子を確認する。

 母が来て、帰る。
 そんな感じだったと思う。


 私が3歳の頃の先生は、『きょう先生』だった。
 当時、人気だった恐竜をモチーフにしたキャラクターに似ているとずっと思っていた。
 そしてなぜか、あのキャラクターの中に先生が入っているんだ……とぼんやりと思っていた。
 そんな訳はないのだが、恐竜のキャラクターと先生がつながっているように感じられたのだ。

 黄緑色の似合う少しふっくらした先生だった。
 怒鳴ったり叱ったりしない、いつもニコニコしているイメージの先生。
 イメージなので、実際は違ったかもしれない。

 他の先生たちはあまり好きではなかったが、きょう先生だけは別だった。
 ホワンとした雰囲気で、こちらまでホワンとした気分になる感じがした。
 近くに寄って懐いたことはないけれど、わざわざ距離を取ろうと離れる様な事もしない。
 具体的にこんな事があったというような記憶はないけれど、とにかく保育園の中で一番好きな先生だった。


 4歳児クラスも『きょう先生』だった。
 ホッとした。他の先生に変わってしまう事は嫌だった。
 教室は変わった。隣へと移ったのだ。
 これにはがっかりした。
 なぜなら、3歳児クラスの教室からは迎えに来る母親の姿が見えたからだ。
 私はいつも窓から外をジッと見て、母が来るのを待っていた。
 それが4歳児クラスの教室では出来なくなったことに、ショックを受けた。


 5歳児クラスは最悪だった。
 『しかく先生』に変わったのだ。
 背が高くて、四角い顔の先生だった。
 この『しかく先生』は私が一番嫌いだと思っていた先生だった。
 近づきたくない先生と言ってもいい。
 そんな感じなので、5歳の時は常にピリピリした感じがまとわりついていた。
 保育園に行って真っ先に思うのは『早く帰りたい』しかなかった。
 そして、やはりこのクラスも迎えに来る母親の姿が見えない。
 5歳児後半はワークブックのようなものが配られて、学習の時間が設けられた。
 私にとってはこれが楽しくて仕方なかった。
 一人で黙々と問題を解けばいいのである。誰にも邪魔されることもない。
「遊んでもいいし、ワークブックでもいいよ」と言われた時間は、『ワークブック』を選んで黙々とやっていた。


 余談だが、私が保育園に入るころは条件が厳しかった。
 入りたい人たちが多かったからだ。けれども、弟が保育園に入るころの条件はいくらか緩和されていた。
 子供が減ったせいだと思う。
 今では保育園そのものが消滅しかけている。




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