文字数:約1660文字
母は、私と
初めての保育園で私は大泣きしたらしい。
もちろん、覚えていない。
しかく先生が私を抱っこして、連れて行ってくれたそうだ。
私の記憶にある保育園の一日はこんなものだった。
毎朝クズリながら着替えて、車に乗って、保育園に着く。
母の手は片方に妹、片方に荷物。私は一人で歩く。
布団がある時は、自分の布団は自分でなるべく持っていたような気がするが、たぶんあれは年長さんぐらいだったのかもしれない。
先生のあいさつを
手提げなどを定位置に引っかけてから、教室の雑音にウンザリしながら、出席シールを張る。
カバンをロッカーに入れる。
そして、邪魔にならない壁際に背を預けてじっとしている。
先生が来たら、朝の会が始まる。
それから園庭で遊んだり、教室内で折り紙や粘土をしたりする。
園庭で遊ぶ時は、壁とお友達になる。
教室内で何かを作る時は無言で作る。
絵本の読み聞かせは、自分の座る位置をどこにしたらいいのか分からなくて、立ち尽くす。
周りが座ったのを見計らって、一番人と距離を取れる場所を考えて座る。
お昼寝の時間は天井とにらめっこ。時々、うっかり寝るが、大抵の場合は起きている。
先生に気が付かれて、先生が傍に居るとますます眠れなくなる。
給食の牛乳は飲まない。
おやつのミルクは甘くて飲めたのが、今から考えると不思議だった。
帰りの会の前には先生が連絡帳を配る。
そして、一人一人の様子を確認する。
母が来て、帰る。
そんな感じだったと思う。
私が3歳の頃の先生は、『きょう先生』だった。
当時、人気だった恐竜をモチーフにしたキャラクターに似ているとずっと思っていた。
そしてなぜか、あのキャラクターの中に先生が入っているんだ……とぼんやりと思っていた。
そんな訳はないのだが、恐竜のキャラクターと先生がつながっているように感じられたのだ。
黄緑色の似合う少しふっくらした先生だった。
怒鳴ったり叱ったりしない、いつもニコニコしているイメージの先生。
イメージなので、実際は違ったかもしれない。
他の先生たちはあまり好きではなかったが、きょう先生だけは別だった。
ホワンとした雰囲気で、こちらまでホワンとした気分になる感じがした。
近くに寄って懐いたことはないけれど、わざわざ距離を取ろうと離れる様な事もしない。
具体的にこんな事があったというような記憶はないけれど、とにかく保育園の中で一番好きな先生だった。
4歳児クラスも『きょう先生』だった。
ホッとした。他の先生に変わってしまう事は嫌だった。
教室は変わった。隣へと移ったのだ。
これにはがっかりした。
なぜなら、3歳児クラスの教室からは迎えに来る母親の姿が見えたからだ。
私はいつも窓から外をジッと見て、母が来るのを待っていた。
それが4歳児クラスの教室では出来なくなったことに、ショックを受けた。
5歳児クラスは最悪だった。
『しかく先生』に変わったのだ。
背が高くて、四角い顔の先生だった。
この『しかく先生』は私が一番嫌いだと思っていた先生だった。
近づきたくない先生と言ってもいい。
そんな感じなので、5歳の時は常にピリピリした感じがまとわりついていた。
保育園に行って真っ先に思うのは『早く帰りたい』しかなかった。
そして、やはりこのクラスも迎えに来る母親の姿が見えない。
5歳児後半はワークブックのようなものが配られて、学習の時間が設けられた。
私にとってはこれが楽しくて仕方なかった。
一人で黙々と問題を解けばいいのである。誰にも邪魔されることもない。
「遊んでもいいし、ワークブックでもいいよ」と言われた時間は、『ワークブック』を選んで黙々とやっていた。
余談だが、私が保育園に入るころは条件が厳しかった。
入りたい人たちが多かったからだ。けれども、弟が保育園に入るころの条件はいくらか緩和されていた。
子供が減ったせいだと思う。
今では保育園そのものが消滅しかけている。
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