文字数:約1123文字
年が変わる頃、父が言った。
「保険の仕事をしないか?」
何度も書いてきたように、私はお喋 りが苦手。
母は保険の仕事を即座に反対した。
母の反対は正しいが、恐らくそれは父から見たら過保護に見えたのだろうと思う。
「大丈夫だから。少しだけやって、嫌なら辞めたらいい」
と父は言った。
父には私が見えていない。今までも従兄弟たちの世話に必死で、我が子を後回しにしていた人だ。
知らない人が見たら、私たちよりも従兄弟の方が父の実子に見えるだろうと思えるくらい、父は従兄弟と親しく話す。
対して私たち兄弟は誰一人として、父とは話したがらない。
全て「マルが言って」と私に伝言役 が回ってくる。
かと言って、私も父に対してそれほどいい想いは抱いていない。
誰も話したがらないから、繋 ぎをやっていただけだった。
「マルには、合わないからダメ」
と母は最後まで反対したが、父は私たちの意見を聞く気はない。
私は保険の仕事を始める事になった。
次の日に、迎に来た女性が上司だと紹介された。
私はその人と会社に行き、説明を受けた。
最初は試験勉強だった。
が、ここから私の苦痛は始まった。
他人と一緒に食事をすることが、とても嫌なのだ。
食事はお弁当が用意されていたが、ほとんどを残した。
それを見て、一緒にお勉強をしていた人が「小食なのね」と言った。
違う。見知らぬ人間の傍で食べたくはないだけだ。
試験はクリアして、実際に営業の仕事をするようにもなった。
……もちろん、出来るわけがない。
ポストにチラシを入れることは出来ても、誰かに話しかけるのはハードルがとても高い。
とても高いハードルをクリアしても、営業の仕事をしている上司たちにはそれが当たり前で、そこにダメ出しが付いてくる。
神経はすり減っていった。
スカートを短くすることも、お化粧もヒールの靴も全てが、私を削り取っていく。
自分が何をしているのか、なぜここに居るのかも分からなくなっていく。
「やめたい」
ある日、私は上司にそう言った。
「もう、ちょっと頑張ったら?」
「でも……」
「お父さんも、頑張ってほしいと思っているわよ」
この人は、何を言っているんだろうか。
父が見ているのは私ではない。自分の外面のために、娘をここに放り投げただけだ。
父が私に頑張ってほしいと思っているのは、私が頑張ってこの仕事をする事で『自分の娘を自慢できる』からだ。
外に対して娘を自慢する事で、自分を自慢できる。
娘には「おまえ、馬鹿だな」と馬鹿にする言葉だけを送って、自分の優越感を肥大化させる。
それでも馬鹿な私は、親の自慢になりたいという想いも持っていた。
子どもは生まれながら、親の奴隷である。
私の心は削られていく。
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