文字数:約1330文字
迷った揚げ句、私は近くの工場前へと行った。外を歩く人は少ないが、工場内には人がいるので、何かあれば守衛さんに訴えればどうにかなりそうと思えたのだ。道を挟んだ向こう側にいれば、私が靴下でも見えないというのも良かった。
そこで家族に電話をして、来てもらった。
家族と一緒に部屋に入ると、誰もいなかった。寄り分けていた米が、めちゃくちゃになって床に散らばっていた。
それを拾いながら、警察に連絡をするかどうか迷っていると、チャイムが鳴った。
父が出てくれた。そして、私が呼ばれた。
「こいつか?入って来たのは」
父が私に聞いた。
パニックになっていてよく覚えていないけれど、悪意のない顔は同じだった。私は頷 いた。
「すみませんね。この子、勝手に人の部屋に入るなって言っているのに」
「謝っているし、もう、いいんじゃないか?」
父の言葉に耳を疑った。
謝ったからいい?そんなわけないでしょ。
「この子、障害を持っていてダメと言ってもやってしまうんですよ」
障害を持っているから何なのだろうか。何度も繰り返して、やめる事がないのならば、このアパートの住人に注意喚起必須ではなかったのか。私は、このアパートにそんな障害者がいるなんて聞いていない。
謝りなれている母親らしき人間は、ぺこぺこと頭を下げた。
「怖い思いをさせて、ごめんなさいね」
「ほら、こうやって謝っているんだし」
父が再び、私に許すように促す。けれど、私は何も言わなかった。
それに業を煮やしたのか、男の母親は私の非を責めだした。
「それに、こういうのも悪いけど、あなたもねぇ。鍵、閉めていなかったんでしょ? この子、鍵のない部屋を探して、鍵が開いていると入っちゃうんですよ」
何を言っているんだろうこの人は、だから、仕方ない?そうやって、ずっと許されてきたっていうの?
と、同時に別の思考が動く。こうやって、この人はずっとこの男のために、謝って来たんだろうな。
障害があるからといろんな問題を起こし、その度に謝っていたから謝りなれている。『謝れば許される』と思ってしまっている。
でも、警察を呼んだとしても、同じ事を言われるだけだ。
「障害があるんだから、許してあげなよ」
責められるのは私だ。もう、うんざりだ。疲れた。
「わかった。もう、いい」
私はそれだけ言って、部屋に入る。
後ろで母親が「ありがとうございます」と言っているのが聞こえた。
「何かありましたら、管理人室へ来てくださいね」
管理人だから、問題にならないのかと納得してしまった。
そこは会社が借り上げていたので即座に連絡をして、アパートを替えてもらった。私の話を聞いて、そのアパートにいた社員たちは全員が別のアパートに移る事になったらしい。
それから、仕事に行ってもドアの前が気になったり、人の気配が怖くて仕方なかったりして気分が落ち着かなくなった。
誰もいない空間を何度も見て、『誰もいないんだ』と確認しなければ安心できない。
ドアの鍵がかかっているかは何度チェックしたか分からない。夜も電気を消せなくなった。
それが数カ月続いて、徐々に元に戻っていったが、フラッシュバックしたように『不安になる期間』は時々やって来た。
元に戻るのに一年以上かかった。
<<前 目次 次>>