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それは、とあるイベントからの帰り道。
東京はどこでも人通りが多い。ただその日は、天気が悪くて若干、人が少なかった。
「すみません」
そんな声をかけてくるのは、大半がキャッチなので、この時も私はそう判断した。
「お時間少し、ありますか?」
話しかけてきたのは女性だった。時間を聞くのもいつもの事で、後は帰るだけだったので時間はあると答えた。
「実は……カットモデルを探していて」
カットモデル?私の知らない単語が、女性の口から飛び出した。
「私、美容師をしているんです。今日はお店でカットのテストがあるのに、予定していた人が来られなくなってしまって。
もし、髪を切ってよかったら、協力をお願いしたいんです」
女性の説明は分かりやすく簡潔だった。私の髪も伸びていたが、見た目にこだわりがないので放置をしていた。
「いいですよ」
「ありがとうございます。お店はあちらにあるんです。一緒に来てください」
そう言うので、女性の後について行く。道中、彼女は『丸山』と名乗った。
このお店の場所は、細い路地を通って辿 り着く、分かりにくい場所だった。
あまりにも狭い路地を行くので、何か騙 されているのでは?と思ってしまった。
お店は、綺麗 でおしゃれな建物だった。美容などとは無縁の私は、気後れしてしまった。
「最初に話しかけて、OKが貰 えるなんて思わなかったです」
私も、こんなおしゃれな街でカットモデルに誘われるとは思わなかった。
まだお店にお客様がいるので、私はすみっこの席へと案内された。
「希望はありますか?」
丸山さんが私に聞いたが、私に答えられるだけの知識はない。
分からないと答えると、ヘアスタイルの本を持ってきてくれた。私はその中から、ショートカットの髪型を選ぶ。
「これだったら、こうした方が可愛いですよ」
私は丸山さんの提案に乗った。
「丸い良い形の頭ですね」
「え?そうなのですか?」
頭の形を褒められても、よく分からない。
「ええ。丸くて良い形です。今まで美容院で褒められませんでした?」
「え?褒められた事はないです」
散々いい形ですねと褒められると、なんだか嬉 しくなってしまう。
さらに丸山さんは、「可愛い」「可愛い」と連発しながら、髪を切ってくれる。
「髪質もちょうどいい感じで、ウェーブがかかっていていいですね。天然ですか?」
「天然です」
天然パーマには苦しめられた記憶しかない。中学高校の入学後は目を付けられたし、髪形も決まらない。
美容院で切ってもらっても次の日には、違う髪形へと変身している。
それを褒められているのは、不思議な感じがした。
髪を切り終わると「ほら、可愛くなった。ね。可愛いですよ」と、自信満々に言い切った。
最終的にはお店の人に私の髪形を見せて、テストの判断を仰ぐ。
先ほどまで、「可愛い可愛い」と言っていた丸山さんの顔が緊張で引き締まった。
「ここは、もっとこうした方がいいかな」
直しが入る事に驚いてしまう。何が悪いのか、私には全く分からない。プロの世界を垣間見ている気分で、こちらも緊張してしまう。
言われた部分に丸山さんも「なるほど」と頷 いている。そして、再び鋏 を手に取った。
直しが終わって、私はケープをとり完成した髪形を見る。
「左右どちらでも分けられるようにしてみました」
前髪の分け目を移動しながら、丸山さんが説明をしてくれた。そんな事が出来るんだと感心してしまった。
「つむじがはっきりしていないので、それを利用してみました」
丸山さんだから出来るのか、美容師さんだから出来るのか分からない。
けれど、今までの美容師さんにそんな風にしてくれる人がいなかったので、私は丸山さんの腕がすごいのだと感じた。
丸山さんのアイディアと腕と、接客に私は惚 れた。
「ありがとうございます」
私はその日、ワクワクした気分で部屋に戻った。
その後は、もう一度、練習として切ってもらったきりで、丸山さんには会っていない。
いつか、美容院でちゃんとお金を払って切ってもらおうと思ったまま、引っ越してしまった。
丸山さんのような素敵な美容師に出会える事はなく、今では自分で髪を切っている。
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