文字数:約1957文字
【 入口 】
始まってしまえば、走り出せるような気がした。立ち止まる事さえしなければ、振り返る事さえしなければ、どこまでも行ける気がした。
例えそれが、無謀でも。例えそれが、暴走だろうとも。
とりあえず、職の不安は消えた。
ただ家族と仕事の板挟みになっただけ。
家族が「そんな試験、受けてどうするの?」と言う。
私は「何とかなるよ」と笑った。
試験前日。
指導者さんが様子見の為に来た。
明日のテストへの励ましも含めてだと思う。
そして、帰りは送ってもらう事になった。
その車の中で、私はこう切り出した。
「あの。あ、の。……辞めたいんです」
迷いに迷った言葉を精一杯吐き出したつもりだった。
「なぜ辞めたいの?」
おそらく、指導者さんにとってはいつもの事なのだろう。
こうやって紹介者が辞めたいというのを
「……何か、このままでいいのかなって……」
私は曖昧な言葉を返した。自分でも理由は判ってなかった。
説明できるだけの言葉が私には無かった。
「まだ、頑張ってみようよ。始めたばかりじゃない。
テストだって終ってないし、次の職も見つかってないでしょ?」
返された言葉は励ましの言葉。
『そうじゃない』
言葉は飲み込んだまま、言葉には決してならない。
そして、次に指導者さんから放たれたのは
「ほら、お父さんだって自慢してたよ。出来る子だって」
父がそんな風に思っていたなんて意外だった。
いつだって、父は私を気に留めてないと思っていた。
父は私を見てなんかいない。私を通して、向こうの家を見てるのだと。
その言葉は少し嬉しくて……。
それは私を縛りつけた。『父の自慢』でありたかった。
言葉にならなかった想いが、私の心に残った。
ふと、自分の誕生日が今日なのだと思った。
言いようの無い虚しさと悲しさが今日のプレゼント。
試験当日。
足元の雪を気にしつつ、会場へと向かう。
寒さはますます強くなり本格的な冬が到来していた。
歩けばすぐの場所へ電車で行くのには少し笑った。
これも、会社の経費で落とされるのかなと思った。
会場は自動車の免許の試験を思い起こさせる。
思ったよりも人数は多くて、人でごった返している。
渡された番号を頼りに、椅子に座りテキストを開く。
いつもの一夜漬け。明日には忘れてしまう記憶。
テスト用紙を埋めるだけ埋めて、時間ギリギリまで確認をしつつ、
隅に落書きを描いては消した。
……いつもの癖。
結果が解るまで1週間。
とりあえず仕事が始まる。といっても、指導者さんのお手伝いだけ。
支部所の仲間を紹介された。
私と同期の同期さん。
そして、同じ支部所になる先輩さん。
後は数人の仲間が居るようだったが、
どの人も始めてから数ヶ月の新人さんと言う事だった。
今まで同期さんは時間の関係で、一緒に研修を受けてなかった。
これからは同じ支部所という事で行動も似たようなものらしい。
同期さんの指導者さんは所長さん。
ノアの指導者さんは指導者さん。
1週間後の結果で退社か継続かが決まる。
「どっちか一人でも落ちていたら嫌だよね」
同期さんの言葉に私は無言の笑顔で返すしかなかった。
試験は合格。
「よかったね」
同期さんと一緒に喜んだ。
なのに、どこかで心が重くなった。
研修は合格後は週に2度の火曜と水曜が新人が集まる日になる。
支社で実施され各支部の新人さんが集まる。
より実地に近い形で目標を決めクリアすれば、景品がもらえる。
目標とはいえ、ノルマに近かった。実際に成績が張り出されていた。
そして、一日の終わりに報告がある。
一人一人が反省と報告をし、インストラクターがアドバイスをする。
私はこれが嫌だった。
目標に達していなくても、誤魔化せる部分は誤魔化して報告をする。
私には出来なかった。嘘の固め方を知らない。
インストラクターに突っ込まれた質問をされれば、途端に何もいえなくなる。
困った顔で、私は無言になり俯いた。
インストラクターは話を切り上げ、次の人へと話を進めた。
その後で日報をインストラクターに見せて終了。
ただ、それだけの時間が息苦しい。
「いつ辞めるの? 試験なんて落ちればよかったのに」
家族はそう言った。
私もそう思った。
父だけが私に今の仕事を続けて欲しがってるように思えた。
その月の終わりごろ、会社を休んだ。
辞めたかった。
路面が凍っていて慎重に歩いていたせいか、いつも乗る電車に乗りそびれた。
電話で乗り遅れた事を伝えた。
そして、会社には行かなかった。
父は私のご機嫌を買うためか、私の欲しがってるものを買ってくれた。
そして私は次の日、会社に行った。
でも、本当に欲しかったのはそんなモノじゃなかった。
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