文字数:約929文字
【 涙雨3 】
何もしなかった。何も出来なかった。
どうして、責める事が出来るだろう?
家が近くなった頃、指導者さんの視線が私の腕に向く。
指導者さんの顔色が変わったのが判った。
「どうしたの?」
車を道端にとめ、私の腕をまくる。
私の視界が歪む。
……気付いて欲しかった。気付いて欲しくなかった。
――遅いよ? 今更?
毎日、傍にいたのに気がつかなかったくせに。
どこかで、指導者さんを罵ってる私がいた。
「猫に引っ掻かれたの?」
私は無言で首を振る。
そんな傷じゃ無い事は一目瞭然だ。
戸惑いながら指導者さんは傷を見渡す。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「自分で……やったの?」
息が詰まる。
――否定できない。
――否定したい。
空気がない。
私はやっとの思いで首を縦に振る。
「どうして?」
呆然とする指導者さんの言葉に、私は泣き出す。
――どうして?私が聞きたい。
どうして、こんな事をしてるの?
自分でも判らない答えに答えられるはずはない。
何も答えない私に、指導者さんは質問を変える。
「家の人は知ってるの?」
――言えるわけがない。
「どうするの?」
――どうしよう。
私が何も答えないまま、時間だけが過ぎる。
指導者さんは車を動かした。
家に着いて、指導者さんに親を呼んでくるように言われた。
「指導者さんが来てるの」
私は母に苦笑いでそう言って、部屋に入った。
母は玄関に行って指導者さんと何かを話していた。
私の部屋は玄関の隣なので聞き耳を立てれば聞こえるが、そうしなかった。
着替えを済ませて、話が終わっただろう頃に部屋を出る。
「それじゃあね」
そう言って、指導者さんは帰っていった。
私は会社に戻らなくていいのかと拍子抜けした。
母と指導者さんの話の内容は気にしてなかった。
夜、画面の向こう側の二人に私がリスカをしてる事を教えた。
二人の反応はまったく正反対だった。
一人は「家族に抱きしめてもらいなさい」と。
……それが出来るなら、そうしている。
判ってもらえなかったのが、悲しかった。
一人は「止めるべきだった。ノアちゃんが、会社に入る時に止めるべきだった」と。
……それはもう戻らない時間だよ?
悔やんでくれるのが、嬉しかった。
<<前 目次 次>>