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✞ 蝉の泣く頃1 ✞

2022/11/02
文字数:約985文字

   【 書類 】

 紙切れから始まって。
 紙切れで終わる。
 空っぽの私を残して。


 退職の為の書類を持って、指導者さんが先輩と一緒に家に来た。
 自分の部屋からそれを見ていた私は笑って2人を迎える。
「元気だった?」

 私は無言で笑う。
「これと、こことここに判子、お願いね」
 入社の時と同じ様に、淡々と作業が進む。
 そして、入社の時と同じ様にあっという間に手続きが済む。

「じゃ、ね」
 指導者さんの言葉に、私は何も言わない。
 玄関から出て行く2人を私は見送る。
 そして、手にしたのはやっぱり……刃。

 ……終わったね。
 どこかで、安堵する私がいる。
 だけど、本当に辛いのはここからだとも思った。

 次を踏み出す事への恐怖。

 次はいつくるんだろう?


 その夜、私は2階の部屋で下の妹に話す。
 返ってきた返事が何だったのか、覚えていない。
 私は妹の目の前で、切って見せた。
「やめなよ。お母さんに言うよ?」
 妹は静止の言葉を放ったものの、行動で止めようとはしなかった。
「言えば?」
 母は泣くだろう。そう思いつつ、母に何も出来ない事も判っていた。
 虚勢と虚無感。






 数日経ってから、部屋を適当に片付ける。
 出てきたのは仕事に使っていた書類やチラシ。
 大量の書類は、そう簡単には捨てられない個人情報の宝庫だった。

「花火する?」
 夜になって、私は妹たちに聞いた。
「うん。しよう」

 妹たちが花火を持って、私はその後に続いて、書類を持って外に出た。
 妹たちの花火を見ながら、書類を火にくべる。
 書類を燃やし終わる前に、花火が終わった。
 なかなか火の傍から離れない私に上の妹が声をかける。
「何してるの?家に入ろうよ」
 事情を知ってる下の妹がそれを遮る。

「これ、燃やしてから、家に入るよ」
 赤い炎が目の前に燃え上がる。
 ちりちりと紙が縮まってゆく。

 紙を全て火の中に入れたところで
「もう、十分燃えてるよ? 」
 と、上の妹に水をかけられてしまった。
 書類は燃え尽きてはいない。
 ……後でまた燃やそうと思った。
「散歩、しよう」
「そだね」
 せっかちな上の妹はすでに歩き出している。
 下の妹がその後に続いて、ノアも2人を追った。
 いつもの星空。
「流れ星、ないかなぁ」
 などと、空を見ながら道路の真ん中を歩く。
「田んぼに落ちるよ」
 私は苦笑い。

 空には星。
 地には草木。

 真っ暗闇の道先は
 どこへ続くのかもわからない。




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