文字数:約1027文字
☆番外☆ もう一人の兄弟の記憶私には妹が二人、弟が一人いる。
けど、弟が生まれる前にもう一人、母のおなかの中に存在していた。
その日、母は山菜を取りに山に行った。
山菜を取に行って、生理の血がとまらない事に気が付いたらしい。
いつもよりも多い血の量に慌てて病院に駆け込むと、すでに子供は流れていた。
母自身も、まだ妊娠に気が付いていない時期だった。
病院での処置を終えて、母は何事もなく家に戻ってきたらしい。
子供の話はとりあえず、父にはしたそうだ。
というのを、私が小学生くらいの時に聞いた。
当時は全く知らなかった。
母が気が付かなかったくらいなので、人の形には程遠いものだったと思う。
けれども時々、もし生きていたら……と考える。
性別はどっちで、もしかしたら5人兄弟だったのかも?と。
でも、そのすぐ後に弟の存在が分かったので、その子が生まれていたら弟は存在できなかった。
どっちにしても4人兄弟だったかもしれない。
弟を産んだ後、しばらくして母は閉経した。
母は当時30代前半だった。
なのに早くも閉経したのは、不妊治療の副作用で卵巣が一つになったためだと思う。
☆番外☆ しかく先生
私は大嫌いだったしかく先生だが、妹たちの印象は『普通の先生』だったらしい。
しかく先生は母に散々「この子は大人しすぎる」「おかしい」「積極性がない」と私の事を言っていたらしい。
母がその言葉を無視し続けたのは、子育てでそれどころではなかったからだった。
そして、母自身が大人しい性格で自分の子供が自分に似ていても不思議ではない……と思っていたらしい。
保育園を卒園して1年ほど過ぎた頃、偶然しかく先生に出会った。
たぶん、祭りの日だったような気がする。
唐突に声をかけられて、振り向くとしかく先生がいた。
雰囲気がすっかり丸くなっていた。
つんけんした空気が全くなくなって、幸せいっぱいな雰囲気だった。
しばらく『誰?』と思いながら、母と先生のちょっとした立ち話を聞いていた。
「しかく先生、結婚したんだってね。幸せそうね」
と、母が言うのを聞いて、やっとしかく先生だったのだと知った。
つんけんとしたしかく先生しか知らない私には、全くの別人に見えた。
けれど、思い出が消えるわけではない。
私の中ではずっと『嫌な先生』だった。
妹が『普通の先生』だったというのを聞いて、やっと「あの時は先生自体に何か嫌な事でもあったのかな」なんて思うようになった。
<<前 目次 次>>