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小さなころはよく、家族旅行をした。
父の仕事のない真冬に、3泊程度どこかに行く。
私が旅行でどこに行くかを理解したのは、日本地図が頭に描ける様になってからだった。
毎年少しずつ遠くに行っている事を知った。そして、山口県で旅行は終わった。
九州に渡る事はなかった。
子供時代の旅行の記憶は秋吉台が終着点。
広島(原爆ドーム)・鳥取(砂丘)・四国(金毘羅さん)……他にも行ったのかもしれないが、覚えているのがこれくらい。
真冬に行くので、大雪で帰れなくて学校を休んだこともあった。
そこまで遠くではなくても、近くにドライブはよく行った。
立ち寄るのは適当な山や海が多かった。
時々、遊具のある場所に立ち寄る事もあった。
そんな時は父が率先して遊びだす。
そして、他の子供たちに囲まれて父は楽しむのだ。
私たちはと言えば、母と一緒にそれを見ている。
私たち兄弟は誰も『遊具で無邪気に遊ぶ』ような子供には育たなかった。
仮に遊ぶとしたら、『ほぼ誰もいない場合』しかない。他の子がいると、母の傍から離れない。
父は最初だけ私たちに声をかけるが、結局は一人で遊びだし、他の子達に囲まれて他の子と一緒に遊ぶ。
母が我が子第一だったのに対して、父はただの子供好きだった。
父は自分と一緒に楽しんでくれる子供が好きだった。
残念ながら私たちは父の期待したような子供には、ならなかった。
「他の子とばかり親しくする」と思ったのは私だけではなく、母も同じだったらしい。
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