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職場でお花見があった。
参加は強制で、不参加は不可能だった。正社員は会社から補助が出るが派遣社員は補助なしで、会費の三千円を自腹で払う事になっていた。
会場も遠くて、飲酒もするので、行き帰りは電車になる。往復で軽く二千円の出費。お花見だけで約五千円の出費である。世間の不条理に泣きたくなった。
そんな気持ちで、参加したお花見では、上司に酌をしろと先輩たちに言われた。
肝心の上司は、「そんなに飲めないから、要らない」と酌を断られる。散々な気分で、会場を途中で抜け出した。
仕事ではないのに、気を使って、疲れて、お金を払って……限界なので黙って帰ろうと思った。
「カタチさん、大丈夫?」
社員さんが声をかけてくれた。彼とは、あいさつぐらいの関わりしかなかった。
「あ。はい。大丈夫です」
ひっそり帰ろうと思っていた計画が崩れて、『戻って』と言われるのかと思った。
けど、社員さんは「一緒に帰ろう」と言ってきた。
私は『電車で』だと思っていたが、社員さんは「タクシーで帰ろう」と言った。
それほど呑 んでいたわけではなかったが、初めての場所と緊張で早く帰りたくて社員さんの話を理解していなかった。
『タクシーで帰る』『送っていく』
という言葉から、タクシー代を出してくれるのかなと簡単に考えてしまっていた。
タクシー代を出してくれなくても、自腹でもいいかなとすら思っていた。
社員さんと一緒にタクシーに乗って、社員さんの家に着いた。家と言っても会社の寮なので、会社のすぐ傍だった。
タクシーから降りる。
社員さんがタクシーにお金を払っているのが見えた。
あれ?私はどうするの?ここから歩いて帰るのだろうかと考えた。私の家までは歩けば一時間ぐらいだった。
歩きだそうとしたが、「夜に女の子を歩かせるわけには」と言われて部屋に押し込まれる。
「酔いが覚めたら、送っていくよ」
社員さんの話で送っていくというのは、『社員さんが車で』という事だとやっと理解した。
さらにそこから、お酒攻撃が始まった。
「カタチさんは、まだ呑 んでもいいよ。カクテル好き?それとも、チューハイ?いろいろ買ってきたんだよ」
そう言いながら、社員さんが冷蔵庫からお酒の缶を取り出してくる。
「これなんか、可愛いよね。どれを呑 む?」
私が何も言わなくても、お酒がテーブルにずらっと並べられた。
これは……これは……ヤバいと思った。呑 んでいるとはいえ、この状況を理解できないほど意識は飛んではいない。
「じゃぁ。これ」
私は、甘いお酒を一つ選んだ。
社員さんはテレビを見ながら、私にいくつか話題を振った。
途中で、社員さんがトイレに立った隙 に、私は保険をかける事にした。携帯にタイマーをセットして、ポケットに入れておく。
トイレから戻ってくるとまた、テレビを見ながら雑談をした。
やがて、社員さんは「お酒強いんだね……」と言い始めた。
私の手元のお酒は、2缶目になっている。
「そうですか?」
私は何も分からないふりをして、笑ってみせた。
やがて、携帯の振動がポケットを揺らした。私は慌てて携帯を見ると、妹からだった。
私は電話に出る。
『まだ、帰って来ないの?お母さんたち寝ちゃったよ。玄関閉めちゃうよ』
「うん。今、帰るよ」
私は携帯をポケットに仕舞って、「妹が心配しているんで、帰ります」と言った。
社員さんは「そっか、そうだよね。こんな時間だし」と車の鍵を手にして、玄関を開けた。
車の中でも散々「ほんと、お酒が強いんだね。すごいね」と言っていた。私は親のお酒に強い遺伝子に感謝した。
仕事をやめた後は、社員さんとは連絡を取っていない。
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