文字数:約1276文字
アパートの隣の部屋に、どんな人がいるのか私は知らなかった。
部署異動になって、私はそれまでとは違う棟での仕事になった。
そこは男性ばかりで、女性は私一人。よくよく話を聞くと「男性が欲しかったけど、女性を回されてしまった」と言う事だった。
その言葉の通り、そこは力仕事が多かった。
私は男性の中に混じって、仕事を始めた。
異動してしばらくすると、アパートの部屋の前で声をかけられた。
「カタチさん……ですよね?」
声の主は隣の部屋の人だった。私はマジマジとその男性の顔を見る。
「僕ですよ。ほら、仕事で隣の部署で働いている」
「え?あ……」
そこまで言われてやっと、そういえば見た顔だと気がついた。思わず、指さして笑ってしまう。
「隣だったんですね。初めて知りました。いや。人がいるのは知っていたけど、同じ会社の人だとは知らなくて」
私は彼を全く認識していなかったが、彼は私を認識している口ぶりだった。
そこから、顔を合わせると挨拶 をするようになった。
ある日、帰りの時間が一緒になった。
「夕食を一緒に食べませんか。近くのファミレスにでも行って、話をしながらでも」
アパートに近づいたところでそう誘われた。
「疲れているので、出かけたくないです」
「少しだけでも。ほら、すぐそこのお店なら行ってもすぐ帰る事が出来るし」
確かにアパートの近くには飲食店があったが、ここは職場からも近くて知り合いが出入りしている可能性もある。
「いえ。今日は疲れているので」
疲れているのに、このやり取りを続けるのは本当に疲れる。
「だったら、いったん帰ってから荷物を置いてゆっくり、食事に行こう」
「疲れているので……」「だから……」
この繰り返しを何度かして、私は負けた。
荷物を置いて、食事に行くという事が決定した。
「じゃぁ。荷物を置いて、一息ついたら、俺の部屋に来て」
自分の部屋に入って、このまま寝てしまおうかと思った。しかし、隣人がこちらの部屋に来て上がりこまれるのも困る。
視界の端に洗濯物が溜 まっているのが見えてしまった。
洗濯機はドアの外にあるので、隣人が洗濯機の音に気がついて部屋に来る可能性の方が高い。
結局、さっさと食事を終わらせた方がマシという結論に至った。
20分ほどたったところで、隣人の部屋のチャイムを鳴らす。
「早いね。入って、入って」
「……お店は?」
「ああ。俺、まだ準備が出来てなくて、少し部屋に入って、待っていて」
「だったら、自分の部屋に戻るから」
「いや。少しだから、俺の部屋で待っていていいよ」
また、このやり取りかと思うとウンザリした。私はお店に行く可能性がない事も考えて、携帯のタイマーをセットした。
「お邪魔します」
部屋の間取りは、私の部屋と逆転していたが同じだった。
思ったよりも片付いているが、たばこのにおいが充満している。
隣人はガラリと窓を開けて、「たばこのにおい、大丈夫?」と聞いて来た。
「大丈夫です」
隣人はテレビをつけた。敷きっぱなしの布団にローテーブルにクッション。
壁を見ると、少し汚れていた。ヘビースモーカーなのかなと思った。
<<前 目次 次>>